JA紀南広報誌

2016年9月号p22-01

2016年9月号もくじ

女性のリレーエッセー こもれび  

終戦の日を前に
桑原 眞智子(田辺市秋津町)  

 その頃、私は小学4年生、父の仕事の関係で私たち一家は台湾の苗栗という所に居た。
 私は新竹で小学校に入学し、2年生で中歴に行き、4年生で苗栗にと転々と住居も学校も変わった。2年生の時に、戦争が始まり、徐々に生活が苦しくなっていく時であったが、私たち子どもは呑気で元気だった。
 製糖会社のプールに行ったり、音楽会で必死に歌ったり、書道展に出す作品を友だちと放課後まで残って書いていたりした。
 その頃、学校には兵隊さんが駐屯していて、正門が使えなくなり、私たちは裏門から入り、校庭を横切り、直接教室に出入りしていた。
 母が入院していた私は、家族が帰ってくるまでいつもひとりだった。仕方なく父の本棚からむつかしい本を引き出して読むことがあった。意味はわからないけれど字を読むことで満足していた。
 4年生でまた、新竹に転居し、以前いた小学校に転入した。4回の転校で私が学んだことは、最初の日に友だちを作ることであった。
 転校生はクラスの中で目立ちやすい。服装や動作が少し違うので、なかなか馴染めない。勉強の進度が違うので戸惑うことも多い。下手をすると学校へ行くのが嫌になることもある。
 だから、いち早く自分と気が合いそうな人を見つけ仲良くなること。成績は出来ても出来なくても駄目、中の上位でいるよう気をつけることなどであった。
 その後、学童疎開もし、新竹の町が焼けるのを、空の赤さで知り、終戦となった。6年生の10月頃から、児童全員が学校に行かなくなった。
 翌年2月、学校から連絡が入り、私たち6年生は久しぶりに集まった。
 私たちは校長室で、日本人の校長先生の名前と、中国人の校長先生の名前が並んで書かれている卒業証書をもらって帰った。
 小学校生活終わりの日であった。(中央支所管内)

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