JA紀南広報誌

2016年2月号p03-01

2016年2月号もくじ

農を耕し、地域を起こす『農人』【No.30】  

若い頃は製炭も経験、梅農家と観光梅林運営までマルチにこなす石神忠夫さん

田辺市上芳養
石神 忠夫 さん

 今年の紀州石神田辺梅林の開園を特別な思いで迎える人がいる。観梅協会の石神忠夫さんだ。昨年、世界農業遺産に認定された「みなべ・田辺の梅システム」はこの石神地区の梅作りがモデルになった。自然と共生した営みだ。

世界農業遺産のモデル的地区
江戸時代から続く梅作り守る  

 石神忠夫さんが就農した昭和30年代の上芳養石神地区は、備長炭の製炭と梅作りで生計を立てる農家が多かった。自身も中学校を出て、父の元で従事した。春から夏は梅採りや梅干しの天日干しに精を出す。秋から冬はウバメガシの薪炭林の近くの炭窯で月に1回の割合で炭を焼く。「夏は暑いので、炭焼きはできず、梅の作業はちょうど良かった」と言う。
 この地の梅は、江戸時代、田辺藩が急傾斜地の租税を免除し、梅作りや備長炭産業を奨励したことに遡る。品種は、稲藪梅、皆平早生、そえさん梅、おりんさん梅などの在来種だった。「南高が無い時代で、これらの梅も、白干しにすると、柔らかく、種が小さく果肉が厚かったように思う」と話す。
 昭和30年頃、農協が梅干し以外に、梅酒用の青梅を青果で荷受けするようになり、梅作りもさらに盛んになった。石神地区に多い西北向きの園地は、通気が良く、黒星病、すす斑病などに強かったことも、梅作りの条件に合っていた。
 そんな石神地区に昭和38年、観梅客を迎える石神梅林(現在の紀州石神田辺梅林)ができた。「道沿いに梅の古木のトンネルがある。農閑期を利用してこの花を見てもらえないか」。梅林の初代会長、中平松一郎さん、2代目会長の濱田武次郎さんらの提唱で始まった。
 石神さんも地区の若手として運営に関わった。一方の農業は、父が亡くなった後、製炭はやめ、昭和46年から25年間は家具店に勤めながらの梅作りで家を支えた。
 平成14年には梅林を運営する観梅協会の3代目会長、濱田憲一さんの後を継ぎ、4代目会長に就き現在に至る。この間には田辺観光協会の会長も4年経験した。
 梅林は地元の13戸で運営し、今年2月6日の開園で53年目を迎える。「飾らない梅林」と言い、ひと目30万本と称され、稜線を遠望しながら見渡す梅の花に風情を感じると、リピーター客も多い。
 梅林ではウバメガシの薪炭林と梅園が織りなす姿も楽しめる。この景観や4世紀にわたる梅農家の営みが、昨年12月、世界農業遺産に認定された「みなべ・田辺の梅システム」のモデルとなったことを知る人は地域でもまだ少ない。
 世界農業遺産では、石神さんも平成26年の推進協議会の設立時から委員として関わった。国連食糧農業機関(FAO)の現地調査でも、機械化も進まない30度を超すような斜面で続ける梅作りをアピール。「薪炭林やニホンミツバチと共生した梅作りで、食料生産と、生態系、景観と地域の歴史・文化を支えている」と説明した。
 認定を喜ぶ反面「レッテルだけの一人歩きじゃいかん。名実ともに誇れるような梅と地域であるよう、若い世代と一緒にブランドを高めたい」と気を引き締める。梅農家に農業遺産の認識がさらに浸透することや、行政やJAも一体となった取り組みを求めている。
 石神さんは現在2㌶で梅を作っており、休日には長男・次男も農業を手伝いに来るという。1月も剪定や梅林の開園準備と多忙な日々だが、「健康管理をして生涯現役でいきたい」と語る顔には張りがある。(文・写真=山本和久)

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