JA紀南広報誌

2016年1月号p04-01

2016年1月号もくじ

新春特集 我ら紀南の味自慢・腕じまん  

やっぱり地元産が一番!  

 農協改革、TPPと農業・農協を取り巻く環境が激変している。しかし、変わらないのは、地域に根付き日々「農」に情熱を傾ける農家が必ずいるということだ。直売所が新しい風を吹き込む。先人が築いた歴史とブランドを守る。地の利を生かし味を追求する。「我ら紀南の味自慢・腕じまん」。地元産を背負って立つ農家を追った。

直売所も上位等級の花で勝負
周年出荷のユリにひときわ力  

白浜町才野
西浦 淳至 さん

花き栽培歴27年の西浦淳至さん。直売所出荷のメインは周年出荷で26品種を栽培しているユリだ

 西浦淳至さんは早朝から作業場での花の荷造りに忙しい。出荷先はJAの直販所「あぜみち」や「紀菜柑」だ。花農家歴は27年。とんだ花き団地の鉄骨ハウスでユリを主力に栽培する。出荷は年間切れ目無しだが、需要期の紋日や卒業・入学シーズンにピークを作るよう栽培管理に余念が無い。
 地元で勤めた後、兄の花作りを手伝い、才野にとんだ花き団地ができた翌年の平成8年、独り立ちした。
 700坪の鉄骨ハウスで、カーベラ栽培から始めたが、病気が続発し、ガーベラをやめ、スターチスやトルコギキョウ、草花類の栽培と試行錯誤が続いた。
 その頃、JAとんだの直販所「あぜみち」がAコープとの併設で規模拡大して新設された。西浦さんも当初は「花は農協に出荷するもの」と直売所への興味は無かったが、試しに出荷したところ、「こんなに売れるのか」と仰天した。
 それがきっかけで、共販出荷も行いながら、直売所に年中、少量多品目で切り花を出荷するようにした。「直売所だからと言って下位等級では無く、上位等級の切り花を出荷するスタンスに心がけた」という。
 「あぜみち」が地域の直売所の先導役を果たした。合併後の平成19年に「紀菜柑」ができた時も、すぐに出荷会員に登録した。
 「出荷に忙しくて仕方ない」。そのため現在は品目を3つに絞った。ユリが60%、スプレーギクが30%、スターチスが10%の割合だ。
 周年出荷のユリはひときわ力を入れている。その8割はLAハイブリッドと呼ばれる交配品種で、花色もピンク、赤、白、黄色、オレンジと豊富だ。このLAと残り2割のオリエンタル系を合わせると栽培品種は26品種にのぼる。
 「狙いを定めた時期にいかに量を出すか」が最も大事なテクニックだと、経験から知った。ただ、今年産は秋冬の気温が高く、出荷が正月の需要期より前倒しにならないか心配する。
 「燃料代が要るので加温も控えたいが、低温・多湿にし過ぎると灰色かび病も心配だ」と西浦さん。施設栽培とは言え、微妙な栽培管理のさじ加減が、毎年違った形で要求される。
 花一筋、ハウスと直売所に通う日々。「直売所でライバルはいない。皆仲間だ。自分は納得した花を納得した価格で出荷するだけ」。黙々と花を包装する西浦さんの手が止まることはない。  (文・写真=山本和久)

県知事賞「一発屋で終われない」
紅の濃さ売りにミカンの味追求  

田辺市上芳養
石神 一弘 さん

鳥獣害とも闘い、マルチ被覆もしてようやく収穫期を迎えた温州ミカンと石神一弘さん

 上芳養石神と言えば観梅名所の「紀州石神梅林」で有名だが、石神一弘さんは、一面梅地帯の中でミカンに打ち込む。田辺農林水産業まつりの品評会で最上位の「県知事賞」を今年を含めて通算7回受賞したのがミカン作りの自信につながった。2年前からはJAの「紀菜柑」に出荷を始め、消費者により近づいた売り方に魅力を感じ始めている。
 県農業大学校を卒業後、旧JA紀南の担い手育成嘱託雇用制度によりAコープで働いた後、就農して13年目になる。現在の経営面積は2・6㌶で、温州ミカンと晩柑のかんきつ類が1・8㌶、JAに共販出荷する「南高梅」が80㌃だ。
 石神地区でのミカン栽培は珍しい。石神さんがミカンを作る理由は、園地が標高約200㍍の高い地帯で、日中の寒暖差が大きいことから「紅」の着きが良いことと、「むしろ温暖化で石神がミカンの適地になるのではというたわいない発想もあった」と笑う。
 平成17年に初めて県知事賞をとった時、「一発屋で終わりたくない」と、俄然やる気が沸いた。
 温州ミカンの「宮川早生」の糖度は13%以上をめざしている。「糖度を上げる技術は小さなことの積み重ねだ」と強調。マルチ被覆、施肥、土壌改良、防除、摘蕾・摘果、収穫に至るまで、それを適期に実行するタイミングを最も重視している。
 その上で「どんな技術を持っている人も気象には振り回される。自己満足と紙一重かもしれないが、最後は一生懸命作ったかどうかだ」と感じている。
 平成26年、JA職員のすすめで「紀菜柑」に初めて出荷した。日々通う直売所は“目から鱗”だったという。「極早生ミカンが11月下旬でも並ぶ。食べる人はミカンはミカン、品種じゃない」と思った。食味はもちろん大切にし、石神のミカンならではの着色の良さを売りにしたいと考えた。共販では得にくい回りの出荷者の影響も直売所では多分に受けるという。
 平成27年産も「天候に振り回されながら、何とかうまいミカンに仕上がった」と、12月下旬までを目途に直売所出荷に励んでいる。
 「ここ10年間は大変だったが、ミカンでも行けるぞという明るい兆しが見えたような気がする」と石神さん。毎年続けているミカンの苗木の新植は28年春にも40㌃を予定している。ミカン作りでの将来を見据えた行動は続いている。
 (文・写真=山本和久)

南高の梅干しは負けへん!
梅が厳しい時期こそ改植を  

田辺市中三栖
洞 正敏 さん

「今の梅は我慢比べの時だ」と、冬場の剪定作業に打ち込む洞正敏さん

 平成27年10月、南高梅が誕生し50周年を迎えたが、洞正敏さんは「南高で作る紀州梅干しは全国どこにも負けん梅や」との気持ちを胸に刻む。一方、梅が厳しい状況にある中、「止まってはならん」と、この冬も20㌃の「南高」の園地を改植更新し、将来につなぐ。
 20歳で就農し55年になる。就農当時の三栖はミカン、梅、スモモなどの産地だった。しかし、昭和40年代以降、水田転換などにより「南高梅」の新植が盛ん行われるようになった。
 「南高」の増植は、同じ集落で12歳年上の故・廣畑清さんが、先陣を切って水田転換を進めたのが始まりだ。その廣畑さんは「南部高校時代、『南高』の優良系統調査に関わり、南高が豊産性で優良な梅だと知った」と生前に語っている。
 「梅だけでなく何につけても先生だった」という廣畑さんの背中を追い、洞さんも梅を拡大し、現在は3・5㌶で梅を栽培する。
 「紀州梅ブーム」で、梅栽培が急激に増えたが、近年、消費量の減少などで農家も厳しい状況が続いている。経営を息子・康雄さんに譲っている洞さんも、当然、梅の先行きを案じる。
 「梅が絶えることは無いと思うが、農家が経営し採算がとれる値段には届いていない」との本音がある。
 乗り切る手立ては、生産効率の向上とコストと削減だと考えている。そのため三栖地区では、ネット収穫やミツバチの普及、優良な受粉樹の探索、漬込施設や園地の整備に地区あげて先進的に取り組んできた。
 梅干しの価格低下は農家の雇用情勢にも大きく影響し、「採算が合わない園地での耕作放棄が増えて来た」と洞さんは心配する。
 そんな厳しさの中、改植を進める農家を見かけるという。「若返りを怠ると、収量も不安定になり、さらに経営効率が悪くなる」。洞さん自身も、この冬の改植に向け、老木の伐採や伐根、定植の準備に追われる。
 直面する梅の現状に「廣畑清さんがいたら何と言うだろう。アカン、アカンばかりでなく、努力せなアカンと言うやろうなあ」。洞さんも、我慢比べの今を乗り切ろうと気を引き締める。  (文・写真=山本和久)

多様な販売チャネルが有り難い
JAの直売所は第三の農業の柱  

田辺市下万呂
鈴木 寿志 さん

「紀菜柑」や「食鮮市」が近くて良かった、野菜作りに精を出す鈴木寿志さん

 「JAに勤めていた時には花の販売を任され、売ることの面白さを知った」と話す鈴木寿志さん。その気持ちを家業に置き換え、やり甲斐を見出している。梅・ミカンの果樹に加え、「紀菜柑」や「食鮮市」などJAの直売所への野菜出荷が第三の柱になった。
 県農業大学校を出て和歌山いなみ町農協に入り、約14年間のほとんどをスターチスなど花の販売業務に携わった。「100戸の農家が出荷する花が順調に売れた時は、人(農家)の物だけど嬉しかった」と言う。
 JAを退職し就農したのが3人目の子どもが生まれたばかりの平成16年。早12年目に入っている。
 経営は2・4㌶で、梅・ミカンがそれぞれ1㌶。あとは30㌃の水稲と10㌃の野菜栽培だ。野菜は夏場に10㌃、冬場は水稲の裏作を含め30㌃で作付けする。
 農業の形態の変化はJA紀南の「紀菜柑」の19年の開設と共に訪れた。「紀菜柑」への野菜出荷から始めたが、その後、Aコープの「食鮮市」、JAの給食食材、「紀菜柑」を通じた大阪のスーパーへの直販と幅を広げてきた。3年前からはミカンの直売所出荷も始めた。
 とはいえ「直売所が出荷の100%になることはない。梅とミカンという柱があるからこそ、直売所への出荷ができている」と鈴木さんは言う。
 直売野菜も当初は葉物野菜が多かったが、果樹との複合経営を両立するため、近年は栽培が葉物よりも楽なエダマメやブロッコリー、ダイコン、ニンジン、タマネギなどに切り替え、梅の時期以外の年間切れ目の無い出荷に努めている。
 出荷の励みは「自分が思った値段を付けて、それが順調に売れた時だ」と言う。年中休み無しだが、「モチベーションはまったく落ちない。子育て真っ最中だからなあ」と元気だ。
 「直売所にはいろんなチャンスが転がっている。JAが紀菜柑を中心として農家にいろんな販売チャネル(経路)を与えてくれているのが有り難い」と言い、「遊び心を持って出荷したいものだ」と至って明るい。  (文・写真=山本和久)

将来見据え産地の再活性化を
発祥の地でレタスに打ち込む  

すさみ町周参見
堀本 雅弘 さん

味は決して他産地に負けていないと、レタスの出来映えに自信を持つ堀本雅弘さん

 国内のレタス栽培発祥の地、すさみ町。堀本雅弘さんは、この地で水稲や花き栽培とともに、レタス作りにも打ち込む。
 かつては左官や土木業の会社を経営し、県内のトンネルや道路などの工事現場を飛び回っていたが、若い人材も育ち、「そろそろ頃合いだ」と考え、息子に会社を譲って10年前に本格的に農業を始めた。
 元々合間に農作業をしていたため、会社を退いた後も自然な流れだったという。地元の先輩やJAの営農指導員に教わりながら、試行錯誤の繰り返しで栽培品目を増やしてきた。
 現在は、レタス、水稲、ナバナ、ストックと梅を栽培する。「色々と試しながら、経営形態を固めてきた」と笑顔で話す堀本さん。
 一つにこだわらず、作業効率や収益性に主眼を置いた経営がポリシーだ。「社長経験が活かされているのかも。絶えず次の事を考えて農業をするのは楽しい」と話す。60代からの本格参入とは言え、その熱意は本物で、現在はJAのすさみレタス部会長を務める。
 レタスは水稲の裏作として10月上旬から定植を始める。手がかじかむほどの寒さにならないと葉の巻きが緩み、商品価値を損なう。だが、下がり過ぎると、霜にやられてしまうため収穫時期の見極めが難しい。繁忙期には「常に天気予報とのにらめっこだ」という。
 昭和初期に始まったすさみのレタス栽培は、50年代を境に減少。「すさみ産」のブランドも埋没してしまった。堀本さんも「昔は駅前のレタス倉庫まで荷馬車が列をなし、大変な盛況ぶりだった」と当時を懐かしむ。
 再度の活性化に向けて思考を巡らせ、「行政やJAと協力して、苗の配布などができないだろうか。商用、自家用問わず、まずはすさみの地で、もう一度レタス栽培を広めたい」と話す。
 レタス部会長として、経営者として、「次」を見据える目は熱意で輝いている。  (文・写真=池辺亮平)

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