JA紀南広報誌

2015年9月号p07-01

2015年9月号もくじ

きずな  


組合長 本田 勉地域(地方)を守るために  

 地方創成の大合唱である。
 まるで五月の田圃のようだ。私にはカエルが「地方創成のために、田舎へケーロ・ケーロ」と騒いでいるように聞こえる。(お前たちも同じ鳴くのなら、都会でもっと大きな声で鳴いてくれ)
 そもそも今なぜ創成か? これほどまでに地方が疲弊したのはなぜか? 日本人の根本の思想が間違っているのか? 第二次世界大戦の敗戦が日本人の精神構造に影響したのか? あるいは戦後の教育か?
 いずれにしろ日本中で人口減少が始まり社会問題となっているが、地方はずっと人口減少に悩み、耐えてきたのである。(今頃になって地方創成とは、片腹痛いわい)
 さて、人はみな楽をしたい。楽をしていい生活をしたいと願っている。戦後、都市が経済発展を遂げると同時に、経済的な豊かさを求め人々は都市部へと流れた。裕福な家庭は、子どもの幸せを願って最高学府へと送り、一般の家庭の子どもは、義務教育を終えるのを待って「金の卵」ともてはやされて都市圏へと旅立ったのである。
 地方では「三ちゃん農業」と揶揄されながらも兼業農家が多くなった。農業収入だけでは子どもの教育まで手が回らなかったためである。兼業農家がなぜ増えたのか? なぜ生活が安定しているのか? もちろん月々の決まった収入があるというのが理由ではあるが、その営農形態は、農地解放の前の、ごく限られた地方の名士といわれる人々の生活そのものであるからだ。
 例えば校長先生、郵便局長、警察署長といった名士は大きな土地をもち、小作人や家族がその土地を耕作して食糧を生産していた。主人は決まった収入を家計に入れ、結果安定した生活を送ることができたのである。それをそっくり踏襲したのが、兼業の営農形態であり、安定した生活の基本である。
 ところが地方の人口が減少してくると経済が逼塞(ひっそく)し、自治体等も合併が進んで、働く場所が少なくなった。若者は仕事を求めてさらに都市部へと移動する。
 結果が現在の姿であり、なるべくしてなったのである。しかし、当時、人口の一極集中がもたらす弊害を取り上げた人はいなかった。むしろ都市部が経済発展を遂げることにより、地方もその恩恵を受けるということから、人というかけがえのない財産を経済という魔物に差し出してしまったのである。
 さあこれからどうする?
 これからが本当の協同組合の出番だと思う。政府の言うようにJAを解体するのではなく、行政と一体となって第一次産業の振興をもって地域を元気にするのが私たちに課せられた使命だと思う。そしてそこには地域で生活するすべての人が居るのである。国内外の人々との交流を通じて、地域を元気にしたいと思っている。

消えてゆく集落? 救うのは  

 最近、私も向こうの世界に近づいたのか、人の死についてよく考えるようになった。
 今までは(若い時も含めて)、生きていることを当り前だと思っていた。全盛期には、いつまでもこの状態が当たり前のように続くと思っていた。
 しかし、人間はいつか死ぬ。いかに偉い人も、いかにきれいな人も、いつか衰えて確実に死ぬのである。誰もこの自然の法則には逆らえない。今日生きていることこそが不思議なのである。
 人は生まれると同時に、ひたすら向こうの世界への道を歩き続ける。ゆっくり歩く人、駆ける人、行きつ戻りつする人、さまざまであるが休むことは許されない。
 「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」とよく言われるが、虎は確かに死して皮を残す。だが人は本当に名を残すのだろうか。
 人が人として残せるのは何か? それは、誰かのためにという愛情ではないか。それだけは向こうの世界にも持っていけるような気がしている。
 翻って今の地域を考えてみよう。全国各地の集落は、いつの昔かは知らないが、誰かが開き少しずつ人口が増えてやがては大きな集落に成長する。そこには学校もある、役場もある、警察も病院もある。商店も何軒もあり、人々の生活を支えた。
 やがて人口の減少にともない、それらの施設は全て消滅し、元の寂しい集落に戻ってしまった。人の一生も、集落の盛衰も似たようなものだと思う。しかし集落は消滅させるわけにはいかない。
 それを救うのは、やはり愛情だと思う。人は故郷に大変な愛着をもつ。郷土愛こそが、集落の消滅を救うたった一つの道だと思う。みんなで故郷を思う気持ちを一つに纏(まと)め

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