JA紀南広報誌

2015年9月号p03-01

2015年9月号もくじ

農を耕し、地域を起こす『農人』【No.26】  

田辺市新庄町 田中 文夫 さん

田辺市新庄町
田中 文夫 さん

 きっかけは様々だが、分岐点で選ぶ道は一つだ。田中文夫さんの場合は公務員を辞めて農業を継ぐことだった。「子どもを大学に」という目標が農業の励みになる。直売所「紀菜柑」も田中さんの農業に新しい風を吹き込んだ。

子どもの進学目標に二人三脚
転換期はJA直売所「紀菜柑」  

 田中文夫さんは平成4年の春に田辺市役所を辞めて就農した。梅やミカンの販売が順調な時期で躊躇はしなかった。今年で24年目になるが「自分のしたいことができる」と選んだ道に後悔は無い。
 現在の農業経営は2・2㌶。「南高」、「古城」など青果出荷用の梅が1・1㌶、極早生・早生の温州ミカンが60㌃、水稲20㌃、その他にスモモ、柿、野菜・山菜などで、JAの共選と周年的に直売所「紀菜柑」に出荷している。
 就農時の思い出がある。今年5月に83歳で無くなった父・康之さんは、文夫さんが就農した際に農協の組勘(口座)に200万円を入れ、「お前はこれから、これで(農業を)やっていけ」とだけ言い、すんなり経営の全般を譲ったという。文夫さんにとっては「やらなしょうない」ことになった。
 しばらくは梅やミカンの販売も順調だったが、園地の品目転換などの投資もあり、責任を任された厳しさを思い知る。何より、授かった4人の子どもたちを育て、進学させることを目標に置いた文夫さんは、妻・志乃さんと共に農業に打ち込んだ。子どもたちの大学への進学は、それが叶わなかった文夫さんの夢でもあった。
 文夫さんは自身の経験から「農業は金になるものがそこらに落ちている」と感じている。梅やミカン以外にも、山にあるフキやイタドリ、タケノコや、タイマツ、渋柿もすべて売り物になる。海にあるヒジキやイソモンもそうだ。
 当時はこれらを地元市場などに出荷していたが、転換期は平成19年のJA直売所「紀菜柑」のオープンだった。「自分で値決めして売れる」場所ができたことは田中さんにとって大きな意味があった。
 紀菜柑には妻・志乃さんの名前で出荷し、今では農業の売上げの3割を占めている。青梅の時期以外は何かの物が並ぶよう知恵を絞る。タケノコも店頭に生の物が多くなれば水煮にしたり、渋柿は青果の他に皮をむいて干して出荷するなど手間をかけるのがコツだ。
 夫婦2人にとっては「年がら年中忙しく、いっぱい、いっぱい」だと言うが、「子どもに私の夢だった進学をさせることができたのも紀菜柑のお陰だ」と振り返る。
 田中さんは現在、JAの新庄生販委員長を務める。新庄は管内でも都市化地域で、農業の継承の面でみれば心配もある。JA組織の役員も半ば持ち回り的に就かないと回らなくなっている。
 このような中、田中さんらは「(農家が)少ないながらにも仲良く」を重視し、地域内で壮年部というグループを立ち上げている。
 壮年部には新庄支所に関わったJA職員OBも含め20数人が加入している。高齢者の方の堆肥の運搬を請け負ったり、3年に1度の親睦旅行、祭りへの屋台の出店に至るまで、地域の盛り上げ役として活動している。7月にはJAの職員を誘って総勢38人でビアガーデンを楽しんだという。
 目標だった子どもの進学、自立を果たし、その目線は、地域活性化にも向けられている。あわせて家庭を支え、農業に二人三脚で歩んできた妻への感謝の気持ちも忘れない。(文・写真=山本和久)

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional