JA紀南広報誌

2015年12月号p03-01

2015年12月号もくじ

農を耕し、地域を起こす『農人』【No.29】  

串本町高富 赤埴 友則  さん

串本町高富
赤埴 友則 さん

 花持ちが良く、バラの代替えにもなり、冠婚葬祭まで幅広く用いられるトルコギキョウ。JAは合併後、その販売を一元化し、生産者で分科会を作り高品質出荷体制を確立している。赤埴友則さんもその花に賭ける一人だ。

トルコギキョウ栽培に賭ける
JAの分科会が前進の力に!  

 赤埴友則さんは県農業大学校を卒業後、種苗メーカーの第一園芸での2年間の研修を経て、平成12年に就農した。当時はJAを退職した父親が花の施設栽培をしており、赤埴さんも「最初から花作りを継ごうと思っていた」と言う。
 2年間は父親の500坪のハウスでの花作りだったが、転機は平成14年。潮岬の浪ノ浦花卉団地(通称=サンフラワー花卉団地)に入っていた生産者から、500坪の鉄骨ハウスを譲り受けたことだ。25年にもさらに500坪の譲渡を受け、現在、赤埴さんは潮岬の1000坪(約33㌃)の鉄骨ハウスを拠点に花を作っている。
 花の主軸はトルコギキョウ。当初はスターチスだったが、収益性の問題や、萎凋細菌病がひどくなったことから転換へと進んだ。幸い地元串本には3人のトルコギキョウの先輩が居て、赤埴さんも22年の試験栽培から順次拡大。今では、一部5月のケイトウ(鶏頭)はあるが、経営のほぼすべてをトルコギキョウに切り換え10月から翌年6月まで出荷している。
 順調に来たかのように見える赤埴さんのトルコギキョウだが、「植えたものがきちんと出荷できる状態に到達したのは平成26年産がやっとだ。それまでは地獄の苦しみだった」との本音を明かす。
 1000坪で10万本の苗を植え、半分の5万本を捨てた年もあった。花の首が垂れる、花が咲かない、蕾が死ぬ、枝が吹かないなどのハプニングが次々と起きた。
 そのような時々の栽培技術の修正を手助けするため、串本まで駆け付けて指導してくれたのが、JAのトルコギキョウ分科会の役員や営農担当職員だった。
 トルコギキョウ分科会は、とんだ、上富田、串本の13人の生産者からなる。平成21年にはバラバラだった販売体制をJA紀南ひとつに一元化し、出荷先を3市場に絞り、“紀南のトルコ”のブランド化を確立してきた。25年産では販売高も1億円を突破し、「さらに上へ!」と勢いに乗っている。
 分科会について赤埴さんは「有利に売れるトルコ作りを皆で進める役割を担っている」と強調する。自身も串本花き部会長と兼務で、分科会の副会長を務めている。
 分科会では高品質な花を計画出荷するため栽培技術の高位平準化を重視する。「蕾が大きく、茎もカチッとしまっている」との市場要望に合った品質を確保しようと、ハウス内の温湿度調整、灌水や液肥のタイミングに至るまで、繊細な管理の徹底に向けた会員の情報交換を絶やさない。色の系統も、ピンク、白、青の3系統で、それぞれ2、3品種に絞り、出荷のロット(量)を確保している。
 赤埴さんは分科会の機能発揮を評価し、JAに対しては「販売担当の『JAが勝負して売る。それに合った物を作って欲しい』との気持ちが伝わってくる。本来生産者がすべきことまでJAが踏み込んで導いてくれた」と話す。
 失敗続きの苦労を経て「継続は力だ。施設借入金の返済も来年で終わる」と赤埴さん。暖地という串本の地の利を生かし、「後戻りはしない。花で突き進む」と

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