JA紀南広報誌

2015年10月号p05-01

2015年10月号もくじ

きずな  

専務 山本 治夫
高校の授業でのこと  

 昭和40年代の半ば、当時私が通う高校の授業でのこと、50代の先生から、前後の話は忘れましたが「このクラスで家が農業で、長男である者、手を上げよ」との問いかけがありました。
 私はしがない農家の長男でしたが、私も含め10人くらいが手を上げたと思います。
 その光景を見た先生曰く、「君らの親は、あんまり賢くないのう。長男を大学へ進学させて、卒業後地元へ帰って農業を継ぐと考えているのやろか。地元へ帰ってくるはずないのになあ。都会で就職し、都会で生活の居を構えるに決まっているのになあ…」。
 先生の言う通り、その後、地元に帰って農業をしているというクラス生は知りません。
 当時、その先生がどのような思いで言われたのか知る由もありませんでしたが、「ふるさとは大事やで。農業は大事やで。親を大事にせなあかんで」という意味だったのか、この年になってやっと実感できる、まことに月並みなことだったのではと思います。
 しかし、目の前の進学のみを考えている10代の青二才に、20年後、30年後を思いやる才覚があるはずもなく、ただその先生の言を聞き流していた自分を思い出します。
 いま振り返れば、昨今言われる地方の過疎化や農業の衰退も、当時、高度経済成長の真っ只中でありながらも、先生は直感していたのかも知れません。

「農協改革」、今は静かだが  

 昨年の5月から大騒ぎをした「農協改革」は、何だったのだろうかと思うほど、1年後の今は静かです。しかし、ほぼ当初の政府の原案通り、着々と法案化されつつあり、今は法律施行前の静けさといったところです。
 以前つい使ってしまいましたが、私はいま、「自己改革、自己改革」と、誰かにおもねったような言葉は使うべきではないと考えています。
 諸先輩の時代から、私たちは、大上段に構えて改革と称さずとも―現政府が求める方向ではないかもしれませんが―改革と称すべきことは不断に行って今日まで来たのです。ベストではないかもしれませんが、そうでなければ今の農業も農協も無かったと考えています。
 そのベストではないかもしれない部分とは、農政の貧困です。それをさも、民間団体である農協のせいであるかのように言いつのる政府やその関係団体は何なのでしょう。

地方創生と言いながら…  

 選挙区は地方だけれど、東京生まれの東京育ちの政治家は相当いるのでしょう。そのような政治家が、場合によっては権力を握り日本を統治します。
 私には政府の言う今回の農協、農業委員会、農業生産法人改革の3点セットは東京目線の最たるものと感じます。
 北海道から沖縄までの多様な地域と文化、国民に対して、地方創生や「農協改革」とは言いながらも、地方の理(ことわり)を何ほど理解されているのかと不信がつのるばかりです。本当の狙いは何なのでしょう。
 「農協改革」はもちろん、いま話題の、「安保法制」や「TPP」等々についても、賛否両論、否、両論どころか批判、反対が多くを占める政治課題です。
 しかし、国民はその混沌とした状況に慣れ、そして、「それぞれの法案や、交渉の成立は時間の経過とともに止むを得ないものなのだ、となってしまうことを、政府は多数を占める与党として見透かしているのでしょう」と、評論家などは解説しているところです。
 そうとすれば見くびられたものです。財界の意を汲み、アメリカに媚を売る(ように見える)政府の姿勢を見ていると、あのフランスやドイツの、一本筋が通ったように見える姿勢は何ともうらやましい限りです。
 思想信条は別として、国民の一人として、結果的にそのような政府を選んでしまったのは…。自責の念に駆られる今日この頃です。

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