JA紀南広報誌

2014年3月号p08-01

2014年3月号もくじ

動くことで繋がった人との絆  

谷本憲司さんが活動実績発表
全国青年大会、9年ぶり出場へ  

JA紀南青 年 部
 JA紀南青年部が2月12日、東京で開かれる第60回JA全国青年大会に活動実績発表の部で出場することが決まった。1月16日、奈良市で開かれた近畿地区大会で上富田支部の谷本憲司さんが発表し近畿ブロック代表の椅子を勝ち取った。台風18号被害の復旧対策を求めた国会議員要請、東日本大震災被災地・福島の盟友との交流など、若者らしく動き続ける活動が高評価を得た。全国大会出場は平成17年の高田直幸さん、20年の谷本憲司さん(ともに青年の主張の部)以来だが活動実績発表では初めて。本誌で発表の要旨を紹介する。

【実績発表の要旨】
『活動』
~青年部にしか出来ない事~

■実績のない青年部?  

 「青年部には実績がない」。青年部の予算が削減したのは、平成23年の春。副部長になって最初の会議でそう告げられた。
 「青年部は消費宣伝活動ばかり。新たな取り組みもしていない。部員も減っている。色々な青年部との交流も続けているだけ。何も数字を残していない。何も結果を出していない」。青年部の活動が伝わっていない、認められていないと感じたことがショックだった。
 青年部の23年度計画では、東日本大震災直後で、何か我々にできることは無いだろうか、その「何か」を模索していた所だった。継続してきた活動も予算を理由に廃止する訳にもいかず。活動の目処が立たないまま新年度が始まった。
 JA紀南の青年部員は204人。県下では最大、近畿でも最大級だ。全体活動としては、梅宣伝隊への参加や、行政と連携した県外への販促活動、農林水産業まつりへの出店、青森県のJA津軽みらい青年部とのリンゴとミカンの交流販売、小学校の交流にも発展している愛知県の小清水小学校へのミカンプレゼント、小学校の全新入生への梅干しのプレゼントなどだ。
 活動は長いものは20年以上受け継ぐまさに青年部の歴史だ。実績と認められなくても簡単にはやめられない。そしてこの年、我々は青年部しかできない「新たな活動」を行うことになったのだ。

■台風の爪痕、復旧へ動く  

 平成23年8月に発生した台風12号は、動きが非常に遅く、勢力を増しながら北上し、9月に紀伊半島に異常な豪雨をもたらした。
 降り止まない雨。響き渡る避難勧告。被害は凄まじく、収穫直前の田んぼは池のようになり、道は寸断、畑も至る所で崩落。深層崩壊による土砂災害、土砂ダムができ、堤防は決壊し橋も流される。大自然の猛威を改めて思い知らされた。
 農業は、自然と共生すると共に、時に自然と戦わなければいけない仕事だ。自然がどれだけ猛威をふるっても、「農」を営むため、復旧に取り組むのみなのだ。しかし、立ちふさがったのは「傾斜地20度問題」という法律の壁だった。
 「国の激甚災害に指定されても、傾斜が20度を超える農地は、経済効果の小ささから復旧事業の対象にならない」。当地方は、園地の傾斜が20度なんていうのはなだらかな方で、急傾斜地に梅を植え、梅の一大産地を築いている。
 傾斜が20度を超える畑は事業対象にならない。それは、多くの畑が対象にならないと言われているようなものだった。復旧は、自力では限界がある。畑は一年手を入れなければ、畑では無くなる。
 動かなければ、動くしかない。「現状を国に伝えよう」。地元の若手県会議員と話をし、国会へ陳情に行くことになった。「その前に他にやるべき事があるんじゃないのか」。そんな意見も沢山耳にした。それでも「できる事をやろう。全てやろう」、「今動かないで、なんのための青年部だ」。我々は動いた。
 地元選出の国会議員に力を借り、国会議員の皆様、農林水産省に急きょ時間を作っていただき、青年部有志で国会にバスを走らせた。ゼロ泊2日の強行軍だ。10月12日、東京に着くとすぐに国会議事堂へ。国会議員の皆様にお願いをし、農林水産省では、農林水産大臣政務官、官僚の皆様に我々の思いを訴えた。
 「この問題は、日本中、全ての中山間地域の農地で起こりうる問題だ」、「このままでは梅生産ができない園地が出てくる」、「梅産地を守るため、農業を守るため、急ぎ法律を改正して欲しい」。現状を訴え、陳情書を手渡した。
 県知事、関係市町村の首長、各JAにも国にさまざまなアプローチをしていただき、そして異例の早さで、昭和25年から改正されることのなかった法律を改正していただけることとなった。
 我々の思いがどれほど伝わったのかはわからない。しかし、「最初に国会まで乗り込んでいった青年部の印象は非常に強く残った」、「法改正に向けた一つの原動力になったのは間違いない」。そんな言葉をいただいた。法改正を実績と言うつもりはない。ただ、現状と我々の思いを訴えただけなのだ。

■さらに動く。そして……  

 さらに我々は動き続けた。台風12号で大規模な土石流に見舞われた那智勝浦町へのボランティア活動を近畿の青年部盟友と共に行った。また福島県の青年連盟からキャラバン隊による農産物販売の打診があれば、すぐに地元の農林水産業まつりへの参加を福島に依頼し、長年交流しているJA津軽みらい、福島県青年連盟の盟友と共に農作物の販売に取り組んだ。
 年が明けた平成24年1月、当時の役員2人は県青協会長と共に福島で行われた東北、北海道地区の青年大会の会場にいた。我々の気持ちを福島に届けようと、地元で集めた寄せ書きを手に図々しくも福島に乗り込んだのだ。
 その場で我々は大変なお願いをした。「青年部のセミナーで、震災で見たこと、起こったこと、被災した農家の現状を話して欲しい」と。被災後一年を過ぎていない大変な時期のこのような依頼は無神経なことだとはわかっていた。
 だが、自然の猛威を肌で感じた今だからこそ、現場の生の声を我々に話してもらいたかった。JA紀南管内は、南海トラフ地震の発生が予想され、地震、津波により大きな被害が予想される。有事の際の我々の行動が変われば、何かが変わるかもしれない。何か備えになるものがつかめるかもしれないと思った。
 福島、宮城、両青年連盟の委員長は快く引き受けてくれた。セミナー当日の会場は満員で、青年部員だけでなくJA職員、県内の他の青年部の姿もあった。震災や津波のことが二人の口から語られると、会場は静まりかえった。
 大きな困難に遭いながらもなお、「地域」と「農」の復興に向かう盟友の強い気持ちは、会場にいる我々の心にも「どんなことが起こっても、生まれ育った大地に足をつけて前に進まないといけない」、そんな覚悟を刻んでくれた。

■我々の活動実績とは…  

 こうして我々の「活動」を振り返ると、確かに形に見える、数字に残っている、そのような実績はない。しかし、我々の「活動」というのは、形に見えるような、数字にとらわれるような、そのようなものではない。
 では我々の「活動」とは何か。それは農業と地域のために動いた「活動」、青年部という組織力を活かした「活動」、受け継がれ、受け継いでいく「活動」。そうした「活動」の中で得たものは、動くことで繋がった。「地域」、「人」そして「盟友」との絆。それこそが、我々青年部の実績であり、かけがえのない財産なのだ。
 我々はこれからも動き続ける。「動く事」、「繋がる事」、「続ける事」、それが、我々JA紀南青年部の「活動」なのである。

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