JA紀南広報誌

2014年10月号p21-01

2014年10月号もくじ

JA女性会つどい・家の光大会 体験発表  

新しい生き方
田辺ブロック 長野支部 小池 靖美さん  

 私達家族が大阪から、長野地区の伏莵野にIターンして今年で9年目を迎えます。先に引越しをしてきていた友人を訪ねたのがきっかけでした。住所を書いた紙と地図を片手にドライブ気分で、家族みんなで伏莵野を目指しました。地図では長野からさらに奥に伏莵野と書いています。何も分からず地図の通りにどんどん山の中に入って行きました。
 こんな所に村がある訳ないと思い始めた頃、パッと目の前が開け集落が見えました。何の連絡もせず現れた私達を友人は快く迎えてくれ、夕飯をご馳走になりました。大阪ではあまり面識のなかったご主人とも初めてゆっくりお話しできました。私は、どうして伏莵野を知ったのか、何故ここを選んだのか、と色々伺っているうちに、帰る頃には伏莵野の虜になっていました。
 しかし私達がまさかここへ来るとは夢にも思いませんでした。その夢にも思っていなかった引越しをその時から2年目で考えるようになり、3年目の2005年4月伏莵野にやって来ました。住み始めてから1年は環境の変化についていけず何も分からないまま過ごしたように思います。
 そんな時、梅の収穫の仕事を頼まれた私は気軽に引き受けました。初日のことです。「ボッツリ持って網持って梅を拾うんや。際目はここやからいっぱいになったらコンテナに入れてモノラックのそばにおいといて」。私は、頭の中にハテナマークをいっぱいにし、今何を言わはったん? ボッツリ? 際目? コンテナにモノラック? 何がなんだかサッパリわかりません。
 とどめが「小池さ~ん。おいてよ~、おきやで~」と、叫んでいる農家さん。私は思わず「何をどこに置くんですか~」と叫び返していました。
 それからというもの、次から次へとハテナの言葉が飛び交い、方言に慣れるのも四苦八苦です。なっとう、やにこう、もじける、まくれる、あがらにてきら、等々。最近やっと聞き分けることができるようになりました。
 私は伏莵野に来るにあたって主人と絶対に続けようと決めたことがあります。それは、なるべく自分で食べる物は自分で作ることです。その一つが、米作りです。元々無農薬栽培論者の私は米も無農薬でと考え『お布団農法』という作り方で毎年作っています。
 米作りでさまざまな動物との戦い方も覚えました。今わが家の食卓に上がっている野菜は、シカやウサギに打ち勝って収穫できたものばかりです。そして、梅やミカンの収穫や米作りなど四季を感じながら過ごし4年が過ぎた頃、絶対に忘れてはいけないことが2つ起こりました。
 1つは、私達を伏莵野と引き合わせ、沢山のことをお世話してくださった友人のご主人の死。やっと伏莵野の生活も落ち着き始めこれからと言う時の突然の別れでした。
 2つ目は、2011年に起こった台風による大災害です。9月3日の夜、小学校へ避難した私達に知らされたのは、深層崩壊で逃げられなかった人が6人いることでした。幸い1人は助かりましたが後の方は願いもむなしく帰らぬ人となりました。出会いは一期一会とわかっていてもやっぱり別れとなると寂しいものです。それが死別となるとより一層悲しみが増します。
 大阪で生まれ育ち、両親ともに大阪人で、田辺とはまったく縁もゆかりもない私が、今この山奥で住んでいる事実に「まったく人生はわからないものだ」と実感しています。
 人との関わり方もずいぶん変わりました。引っ越して来る私の家を一生懸命拭き掃除してくれた伏莵野の人、農業を何もわからない私に声をかけてくださる農家の人、夫婦揃って出席する学校の会議や行事、ホントに今まで過ごしてきた環境と全然違います。
 大きな深呼吸も伏莵野に来てから沢山するようになりました。大阪からたった2時間半でこんなに素晴らしい所があり、そこに出会えた自分にとても幸せを感じています。
 引っ越してきて間もない頃、よく「なんで、こんな所に来たん?」と聞かれました。私はその度に「こんな所に来たんと違うよ、ここやから来たんやよ」と答えていました。
 今私は初めて自分で生きていると実感しています。当初は携帯も繋がらず水道の蛇口からは濁水が出て、大阪では指一本で沸かしていたお風呂も今は毎日薪で沸かし、おまけに五右衛門風呂で板を踏みながら入っています。トイレは汲み取り式です。大阪の暮らしから180度変わった生活を私は毎日何処となしに楽しんでいるのです。
 JA女性会に参加してからは、みそやコンニャク作りも教わりました。今まで、スーパーで買っていた物を初めて自分で作り、それを口にした時はもの凄く感動しました。女性会で一番楽しみにしているのが、その時々の会員さんとの関わりです。大阪とは同じ近畿でもまったく文化が違うところがあります。
 食に関しては、さんま寿司とかイガミ、ゴンパチという食材があります。この三つは大阪にはありません。そんな食や生活、文化の違いを教えてもらえるのも女性会での他愛無いお話の中からです。
 女性会に参加したことでこの地での生活に早くなれることができたように思います。
 私は農家の方に作物を育てる大変さを教わりました。しかしその後の収穫の喜びも教わりました。私はそこに自分の人生を重ね、大変な思いの後には必ず喜びがあると信じ、現在の昭和初期のような暮らしを楽しみ続けて生きたいと思っています。(平成26年2月7日、紀南文化会館)

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional