JA紀南広報誌

2014年1月号p04-01

2014年1月号もくじ

新春特集:紀南農業の担い手たち  

我この道を行く
紀南農業の担い手たち  

 “担い手”という言葉は世間でよく使われる。先代が守ってきたものをしょって立つという意味だ。農業を始めた若者も、きっかけや事情は個々違うだろう。ただ、農業が好きで、やりがいを持とうとしている姿勢はよく見える。新春特集として、管内を回り、農業の道を歩み始めた担い手5人の姿に迫った。

サラリーマンを辞めて農業へ
難しさを実感しつつも充実感  

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田辺市下三栖(三栖支所管内)
佐湖 匠 さん(34)

 佐湖さんは就農2年目の新米農家。就農まではサラリーマンとして働いていたが、友人の農家の梅拾いやミカン収穫の作業を手伝ったとき、「農業が面白い」と思ったことが就農のきっかけだ。
 「農業をしたい」との思いが募り、インターネットで調べたり、県の就農支援センターで体験したり、友人の農家に話を聞いたりした。友人からは「なんで今さら農業? サラリーマンの方が収入も安定していいのでは」と反対されたが、意志は揺るがなかった。
 次は家族の説得だ。奥さんからは「やりたかったら、やったら。月の生活費は入れてね」と意外にも反対されなかった。「あそこで反対されても押し切った」と佐湖さんは振り返る。
 現在の経営内容は梅と野菜だ。今冬はキャベツ、ホウレンソウ、コマツナなどを栽培している。「キャベツは直売所でよく売れている。コマツナは種を蒔いてから25日で収穫でき、周年栽培も可能」と佐湖さん。知り合いに「どのような野菜が食べたいか」と聞いたりマーケティング調査も欠かさない。
 栽培した農作物は紀菜柑や田辺市の学校給食へ出荷している。「正直、手間をかけた作物がこの値段か、という時の方が多い」と農業の難しさを実感した。しかし、「相応の値段で売れた時のうれしさはひとしおだ」とそれを超える充実感も手に入れている。
 「今後は施設を利用して葉物野菜を中心に栽培したい」と話す。「野菜はサイクルが早いので、自分でいろいろと仕掛けなればならないが、それが楽しい」と話す。
 「もし息子が農業をしたいと言い出せば賛成するか?」との問いに、「わからん。その時には農業自体が変わってるやろうから」と答える。しかし、「サラリーマンを辞めて農業を始めて良かったと思うよ。好きなことをやってるんだから楽しい」と笑顔を見せた。    (栗栖昌央)

品質落とさずに作業を省力化
自分の経営スタイル作りたい  

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白浜町中(とんだ支所管内)
山本 敦史 さん(25)

 高校を出て2年間、外で働き20歳で就農した。「大人になったら自分のしたいことをせえ」と言っていた父・孝一さんは快く受け入れた。平成26年の春で丸5年だ。近頃は「父を認めることは多々ある。けども、自分の経営スタイルを作りたいと思うようになってきた」と農業への意欲は高まる。
 経営は水稲と裏作のレタス、スィートコーンの3本柱。水稲は乾燥・籾摺り機までを所有し、借地もして約8㌶を栽培する。米は直売所「紀菜柑」を主体に出荷する。
 レタスはJA紀南管内で最も作付面積が多い。12月から翌年3月までの出荷で販売価格の危険分散をはかる。東日本大震災による国内供給の変化もあり、23・24年産は一時期の価格低迷を脱した。
 5月、6月出荷のトウモロコシはレタスの後作だ。収穫は朝5時から始める。その理由は「トウモロコシは呼吸をする。日中採ると糖度が落ちていくから、夜に糖度を蓄積した時点がいい」からだ。
 25年産では他の農家はしない一株の2本採りに挑戦し、半分が成功。感触をつかんだ。糖度も一般的な15度を大きく上回る22度。「おいしい」とお客様から言ってもらえることが励みになっている。
 25年の秋には稲刈り後の田んぼにナバナを植えた。「冬にレンゲを植えた水田とそうでない水田で米の収量に大きな差が出た」からだ。ナバナ栽培による肥料の節減と作業の省力化を狙う。
 「元々面倒くさがりや」と断言する山本さん。いかに作業時間を短縮できるかを常に考えている。「小面積で手を掛けるよりも、倍の面積を作って省力化する方がええ。しかも品質を落とさず、どこを削るか考える」と言う。
 父には思ったら自分の考えを伝える。たいてい父からは「ええかもしれん。やってみるか!」との返事が返って来る。山本さんは「僕に理解を示してくれる」と感じる。それがやりがいの源になっている。
 いまTPP(環太平洋連携協定)など、農業の外圧が高まっているが、山本さんはそれにも打ち勝てる農業を見据える。「今の農業をみると、目に見えて潰れていく方向かもしれない。じゃあ、自分でちゃんとした農産物を作っていけばいい。日本人は元来、国産が好き。良い物でさえ作れば国産を買ってくれるはずで、海外でも勝負できる時代が来るかもしれない」という持論だ。そう語る山本さんの目は輝いている。(山本和久)

先輩の足元にも及ばないが
納得いくダイコン作りたい  

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白浜町日置(日置支所管内)
大内 大作 さん(33)

 大内さんが農業を始めたのは平成24年からだ。祖父も父も農業をしており、学生時代から農作業を手伝っていた。その時から「物作りって楽しいな」と感じていた。
 サラリーマンや建築関連の仕事をしていたが、ケガをして仕事ができなくなったことを機に思い切って就農することにした。
 農業の魅力を「自分で作った野菜なので安心・安全だと言い切れる。防除に関しても把握できているので、自分の子どもにも食べさせることができる」と話す。
 それに「お米一粒から百粒できたらおもしろい。ジャガイモも種芋からいくつもイモができる。下手なギャンブルより率はいい」とも…。
 大内さんの経営内容は水稲、シソ、そしてダイコンに挑戦している。
 大内さん自身がダイコン栽培を始めたのは、水稲の裏作に何を作れば良いのかわからなかったこと、日置地区はダイコンの栽培が盛んなこと、両親もダイコンを作っていることなどが理由だ。
 だが、この一年は作業の適期を逃し、間引きや防除などが後手に回ってしまった。「防除も虫や病気に合ったものをしないといけない。その虫や病気についても勉強しないと」と栽培知識の向上にも意欲的だ。
 「これからは地域の人に認められる農家になりたい」と語る大内さん。「ダイコンのことを聞くなら大内に聞けと言われるようになりたい。地域にそういう先輩方はいるが、僕はまだ足元にも及ばない」と、目標を高く持っている。
 「今のところダイコンを作っていて、何も良かったことはない、苦労ばかりだ。でも自分が納得いくまで諦めずにダイコンを作る」と力を込める。「生涯ダイコンを作り続けることになるのでは」と大内さんのダイコンに掛ける思いは誰よりも強い。  
(栗栖昌央)

継ぐというより新規就農の思い
ミカン園を借りて栽培面積拡大  

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田辺市中芳養(中芳養支所管内)
皿田 竜一 さん(29)

 皿田さんは県内のJAで営農指導員として働いていたが、25年6月に地元に戻って就農した。ミカン栽培が多いJAで働いていたが、「良い物を作って良い値段で売れると自分への対価になる」と農業の魅力を肌で感じ、実家の農業の道を選んだ。
 実家は梅をメインに栽培している。しかし、皿田さんは「継ぐ」というより「新規就職」の思いだ。「今まで培ってきた知識やノウハウを生かしてミカン作りをしたい」と近くにミカン園を借りた。
 いざ農業を始めると天候という大きな壁に当たった。夏期の干ばつによりミカンが小玉となり、秋期の降雨で浮き皮や腐敗果が多かった。「思っていたのとは違った。農家の苦労が身にしみた」と皿田さんは苦笑い。
 初めて経験する防除作業も苦労した。気温が高い夏場の防除時にカッパを着て作業することの大変さや、営農指導員時代にも経験したことのない多くのカメムシの防除と、困難が続いた。
 家族からは「園地を広げると作業が追いつかないのでは」と不安の声も出ている。「家族には自分が責任を持って管理すると言った。まだ園地は増やしたい」と皿田さん。そのため小規模の園地整備を行い、作業の省力化も考えている。
 目指す農業は〝おいしいミカンを安定して作る〟こと。そのためには隔年結果の是正が重要となってくる。「隔年結果を治すには肥培管理と剪定。その自信はある」と力強く答える。
 だが「目標とする農業になるまでには、思っていたより苦労しそう」と言う。そこにも天候が大きく関わっている。「1年目は天候のせいで思うように作業ができなかった。思っていたより大きな壁になっているが、天候を言い訳にはできない。」。一方、「10年後は思い描いていた農業をしている」と、その壁を乗り越える気力を奮い立たせている。 (栗栖昌央)

梅・ミカン、ハウスイチゴまで
農作業のやることの多さに驚く  

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田辺市稲成町(中央支所稲成店管内)
宮本 誠士 さん(26)

 平成24年4月に就農して間もなく2年を迎える。農家の次男だったが、学生時代に家族の間で相談し、納得して農業に就いた。
 子どもの時から見ていたつもりだったが、いざ始めると、やることの多さに驚いた。農業は「南高」などの青梅、ミカンは極早生から木熟栽培まで、そしてハウスイチゴと自家用の水稲。周年的に労力を分散した果樹と施設栽培の複合経営のスタイルだ。言い換えれば年中忙しい農業なのである。
 父の正信さんは田辺市議会議員で、家を空けることは多い。作業の段取りは父が決めるが、居ない間の農業を支える家族のウエイトは高まっており、誠士さんも自身を鼓舞して農業に打ち込む。
 25年からはイチゴの栽培方法を高設の方式に切り替えた。腰の高さほどのプラスチック容器に耕土を入れ、そこでイチゴを栽培する。収穫や管理作業は腰をかがめることがないため体が楽で作業効率も良い栽培方法だ。父が「家族のために」と一念発起した。
 肥料や水は灌水チューブ、電照はタイマー式、ボイラーも温度センサーで稼働するなど、多くが機械仕掛けの施設だ。品種は県の推奨品種である「まりひめ」で、12月中旬から収穫開始となる。
 25年秋のハウス建設から始めた高設栽培を成功させたいと誠士さんは強く思っている。株や実の状態、温度や液肥の残量まで、ハウスに足を運ばない日は無い。
 農業に就いて2年近くになるが、「やれたと思う部分や、やった感はあるが、一方では手が回らず心残りだったことも」と振り返る。「ほんとにこれで大丈夫?と慎重になることも」。自分のことを几帳面で心配性の性格だと言う。それは誠士さんの個性とも言える。農業が高品質で安全・安心を求められるからこそ、繊細で生真面目な誠士さんの性格がこの先、プラスに働く可能性は十分にある。
 父から託される部分は増えてきている。宮本家に立った1本の柱が、少しずつ確実に太くなっていくよう、家族総ぐるみで誠士さんを見守っている。そのことを誠士さんは自覚している。(山本和久)

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