JA紀南広報誌

2013年5月号p30-01

2013年5月号もくじ

向き合うことの大切さ 第11回  

同和問題について
近畿大学附属新宮高等学校 2年 七瀧 将晃  

 以前に、授業で同和問題を扱うことがあり、その中でこの、「同和問題」を後世に伝えていくかどうかについて話し合った。意見は大きく二つに分かれ、一つは、あったことをそのまま伝えていくほうがよい、という意見と、そういう問題を掘りかえしてしまうことで差別的な意識をしてしまうという意見だった。私には、どちらも正しいように聞こえた。なので、どちらがいいのかを選ぶことができなかった。というのも、自分が同和問題を話すうえでの知識がまったくなかった。このままでは今後、話し合うことさえできないと思い、家に帰ってから調べた。
 同和問題とは、生まれた場所(被差別部落)や、そこの出身というだけで差別される不合理な差別であり、家意識や世間体など簡単には拭いさることのできない、日本固有の差別であると書いてあった。
 また、私はその歴史的背景を知り驚いた。
 十六世紀末、豊臣秀吉は、農民が田畑から離れることを禁じるために、武士と町民・農民とを分けた身分制度を作った。この身分制度をさらに進めるため、徳川幕府は歴史的、社会的な経緯で差別されていた一部の人々を著しく低い身分として固定し、職業や住むところを制限した。こうして被差別部落の形成が進んだのである。
 私は、私欲のために平気で人を差別することは絶対にあってはならないことだと思う。
 また、日本の伝統文化である観阿弥や世阿弥が完成させた能や武具や馬具、太鼓などの革製品、竹細工、歌舞伎や浄瑠璃は当時の被差別民衆が担ってきたものである。
 なぜ、すばらしい技能を持つ職人や芸人として世間に認められなかったのだろう。
 そして、明治四年の解放令によって身分制度は廃止となった。しかし、被差別部落の生活や暮らしは改善されず形式的なものであったため、偏見や差別はそのまま放置された。明治以降の資本主義化による制度や産業の変革は、これまでの農民からの搾取を目的とした身分差別から産業労働力確保のための差別として拡大再生産され、被差別部落の人々の生活や実態はより厳しいものになった。大正十一年、被差別部落の人達が不当な差別を自らの運動により解消しようと立ち上がり全国水平社を結成した。
 今日に至っても、同和問題は結婚や就職などの日々の暮らしの中で差別事件として現われる、早急に解決が必要な現実の社会問題である。
 このことを知り、私は後に伝えていくべきだと思う。今なお続くこの過ちを過去の過ちにするためにも。そのためには、事実を自分たちが正しく知り、それを伝えていくにあたって、差別はなくさなければならないものと再認識し、不本意な気持ちを差別に対して持つものではないということを一人一人が意識する必要があるのではないだろうか。

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