JA紀南広報誌

2012年9月号p21-01

2012年9月号もくじ

向き合うことの大切さ 第3回  

いろいろなやさしさ
中貴志小学校 4年 香西 敏武  

 ぼくは、半年の間に二回こっせつしてしまった。それも、ぼくのきき手の右手だった。初めてこっせつして、右手が使えなくなって、ごはんを食べる時も、左手で初めはスプーンで食べたけど、いつもより、おいしく感じなかった。えん筆も、左手で書くのは、大へんだった。でも、学校に行ったら、みんなに「大丈夫?」とか友だちに声をかけてもらいました。その時は、ちょっとうれしかったです。先生も「宿題は、できる所まででいいよ。」とやさしい言ばをかけてくれた。みんながやさしくしてくれたから、がんばれた気がする。
 お母さんは、ごはんを食べる時も、勉強する時も、手伝ってくれなかった。「ゆっくりでいいからね。」って、見ているだけだった。何で手伝ってくれなかったんだろうって、思っていたけれど、一週間くらいたって、やっとわかった。ごはんも、はしで食べられるようになったし、えん筆もちゃんと左手で使えるようになった。いくら、ゆっくりでも、待っててくれた。ただ見ているのではなくて、見守っていてくれたのだ。手伝うやさしさもあるけど、見守るやさしさもあるとわかった。
 うちのひいおばあちゃんも、足をこっせつしてから、歩けなくなった。何年もたった今では、ゆっくりだと歩けるようになっている。ぼくは、ひいおばあちゃんに、手をかしたり、車いすを使わしてあげていないから、何だかわからなかったけど、やっとわかった気がする。きっとゆっくりでも、家族が見守っていたからだ。つめたいと思っていたけれど、本当は、やさしさだった。声をかけてあげたり、手伝ってあげたり、何も言わず、見守ってあげたり、やさしさって、いろいろあるんだなと思った。ぼくは、右手をこっせつしたけれど、二ヶ月もたつと、ギブスもとれて、ふつうに右手の生活にもどれた。今では、あたりまえのように、右手で、ごはんを食べたり、えん筆を使ったりしている。でも、しょうがいがあって、右手だけじゃなくて、左手や足が、不自由な人が、世の中には、たくさんいる。目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、みんなあたり前にしていることが、あたり前じゃない人も、たくさんいる。
 ぼくは、たった二ヶ月だったけど、右手が使えなくて、大変だと思ったけど、みんなが、いろいろなやさしさで、助けてくれた。だから、ぼくもこれからは、相手の気持ちになって、いろいろなやさしさで、助けようと思う。

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional