JA紀南広報誌

2012年9月号p18-03

2012年9月号もくじ

コラム  

静かな夜に物想う  

 手のひらに「しゃくばり」が刺さってしまった。抜きにかかるが焦点が合わない。
 目から離せば見えるが小さくててこずる。再度目に近づけるがぼやけてしまう。ついに来てしまったのか、「これが老眼」。ようやく抜けたが「なんだかなー」である。
 来年で50歳になることを改めて実感する。
 月に数回程度、なぜか夜中の2時か3時頃に目が覚める。つい先日もそうであったが、そんな時は電気もテレビも消したまま窓を開ける。
 何をするでもなく、ただタバコをゆっくり吸いながら、暗い外をただただ耳を澄まして眺める。
 遠方の闇空を静かな稲光が一瞬明るくする。遠くの外灯がやけにまぶしく、蛙の合唱、ウシガエルの低音の独唱。そして一時間の後には横になり、知らない間に朝まで寝てしまっている。
 決して、何かに不満足という訳ではないし、かといって満足をしているでもない。暗く静かゆえに、頭も心も揺らいでしまうのか。頭の中をいろんなことがぐるぐると回る。何か分からないものに後からせかされているような気持ちになり胸がざわつく。
 人を想い、仕事を考え、家族をそして自分を想い、「あれでよかったのか」と反省し悩んでしまっている。
 自分のできることは限られているのに、焦っているのかもしれない。限られているから喘いでいるのかもしれない。
 このコラムを書きながら、年齢を重ねることが難しいと思い始めていることに気付く。悩むことと寂しいことが増え、心弾む想いがなくなってしまっている。
 自分にできること、しなければならないことを精一杯やっているかと問われれば恥ずかしい限りである。分かっているからよけいに辛く、自分への劣等感をこのごろ強く感じる。
 多くは、逃げ道を、言い訳をさがすために悩んでいる。現状とこれからの未来を心弾むようにするために想い、その想いをより大きくし、一つでも希望へと導き出していければ。そのためにもこれからも、しっかりと想い悩んでいきたい。
 貴重な紙面をお借りした50男の夜中の戯言とお許しをください。   (上秋津支所・山本二郎)

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional