JA紀南広報誌

2012年7月号p25-01

2012年7月号もくじ

向き合うことの大切さ 第1回  

僕の体験から
鞆渕中学校 3年 山本 峻也  

 「うわぁ、すげえ!」これは僕が山村留学をするために、この鞆渕中学校に初めて来た時に受けた印象だった。辺り一面に広がる豊かな自然。校庭で遊んでいる小学生の姿。それを見た時、僕はすぐに
「早くこの学校に慣れて、鞆渕中学校の一員になりたい!」と思った。
 しかし同時に、
「友達とうまくやっていけるだろうか。」
「僕だけ浮いてしまったりしないだろうか。」
という思いもわきあがってきた、ただそれも初めだけだった。みんな明るくて、優しく僕に話しかけてくれた。僕は学校に行くのが楽しくなり、友達に対して心の底から物を言えるようになった。こんなことは、前の僕からすれば考えられないことだ。
 ここに来る前の学校では、一年の時にクラスから浮いてしまい、いじめのターゲットになってしまった。この時は先生を交えて話し合い、少しましになったが、このころから僕は、
「いじめられるかもしれないんやったら友達なんか作りたくない!」
「人間は一人で生きていける。」などと思うようになってきた。そして、今まで仲の良かった友達からも距離をおくようになってしまった。最後には、お弁当を食べるのもいつも教室の一番前の席で一人、休み時間や昼休みの時でも、たいてい教室や図書室などで一人で勉強するようになっていた。心優しい人が僕に話しかけてくれても、
「ああ。」
「うん。」などと愛想のないことを言って、最後には、
「ごめんやけど、ちゃうとこ行ってくれへん。」
という感じの会話に持ち込んでしまう。当然やんちゃな子たちは、こんな暗くて愛想のない僕をほっといてくれるわけもなく、再びいじめられるようになっていった。
 二年になり、「このままではだめだ。せめて下の子には慕われるようになりたい。」と思い、後輩に積極的に話しかけた。しかし、ここでもまた浮いてしまい、後輩からもいじめられるようになってしまう。次第に僕の気持ちは、ズタボロになっていった。いつ学校に行けなくなるかもわからない状況で、僕は先生の力を借りながら、なんとか学校に行けていたのだ。
 たった一つ、僕の心の大きな支えとして陸上があった。正直、学校での楽しみは陸上しかなかった。が、ある時足を痛めてしまい、先生からも、
「走るのはしばらくやめとけ。」と言われていたにもかかわらず、無理して走ってしまった。その結果、二年の秋、走ることができなくなってしまった。心の支えとなっていたものがなくなってしまい、今までいじめられてきたストレスもあってか、心にポッカリと穴があいた感じになった。当然まったく学校に行けなくなり、不登校になってしまったのだ。そして家の中に閉じこもり、
「時間が巻き戻ればいいのに。」
「自分の何がいけなかったんだろう。」などと、悶々と過ごす毎日だった。自分の存在すら否定してしまう時も何度かあった。つらかった。
 そんな中、母が、山村留学の話をもちかけてくれたのだ。この時、「違う学校で一からやりなおしたい。」と思っていた僕は、わらにもすがる思いで、
「行きたい!」と言った。これが僕の転機だった。
 今、こうして楽しく生活をおくれていることには、たくさんの人々の支えがあってこそだと思う。いつも仲よくしてくれている中学生のみんな。毎日僕たちに勉強を教えてくれ、また僕が落ちこんでいるときに、「だいじょうぶか。」と声をかけてくれる先生方。いつもごはんを作ってくれたり洗濯物をしてくれたりと、僕の生活を見てくれている寮母さん。センターや僕の安全を守ってくれ、とても信頼できる寮長さん。他にもいろいろな人に支えられているのだが、なによりも僕がどんな状態でもいつも味方をしてくれ、また僕がよくなる方向へもっていってくれた両親。今、多くの人に感謝している。
 いじめを経験した僕には、それがどんなにつらく悲しいことかがよく分かる。僕は幸い、環境を変えることで乗り越えることができた。しかし、またいつ起こるかという不安もぬぐえてはいない。だが、人は必ず人と交わり合って生きていかなければならないのだ。その社会の中で、僕はいじめという卑劣な行為を決して許してはいけないと思う。
 そして、これからの僕は、人と人との大切さを教えてくれた方達に、ありがとうの気持ちを伝え、恩返しができたらと思っている。

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