JA紀南広報誌

2012年1月号p04-01

特 集 新春対談  

俳優 小西博之さん
JA紀南 中家 徹 組合長  

 紀南を元気にしたい――。〝コニタン〟の愛称で知られる紀南出身のタレント、小西博之さんとJA紀南の中家徹組合長が、本誌企画の新春対談を行いました。テーマは「紀南発! 食と農、命の大切さを全国へ」。末期がんを克服した後、地元でも精力的に活動を続ける小西さんが、伝えたいメッセージや今後挑戦していきたいことなど、農業と関連づけながら大いに語っていただきました。

 

紀南発!
食と農、命の大切さを全国へ  

中家 新年あけましておめでとうございます。
小西 おめでとうございます。
中家 小西さんには、俳優活動をはじめ、地元でのさまざまな取り組みや講演会などご多忙にも関わらず、対談をお受けいただきありがとうございます。
小西 私も今回、生まれ故郷のJAさんとつながりをいただけたことに感謝しております。こちらこそよろしくお願いします。

最初の夢は「高校教師」  

中家 小西さんは田辺市出身の俳優として有名ですが、まず自己紹介をしていただけますか。
小西 生まれは中辺路町の栗栖川で、3歳の時に田辺市上秋津へとやって来ました。親父の仕事の都合でいったん都会に出たものの、中学3年のときにまた帰ってきました。昭和34年からずっと海と山と川に囲まれて育ったわけです。
中家 いつから俳優を目指すようになったのですか。
小西 実は、中学1年生から将来の夢を「学校の先生」と決めていました。田辺商業高校(現・神島高校)で野球部のキャプテンを務め、中京大学へ進学して野球部へ入ったのですが、先輩の紹介でテレビのエキストラにちょこちょこ出たりしていたのです。そのうちそっちの方が楽しくなって、野球部を辞めました。
中家 ではそこから徐々に興味を抱いていったのですね。
小西 いいえ、大学4年で教育実習を受け、教師になる段取りは万全でした。しかし、残念ながらその年に和歌山県の高校教員試験がなかったのです。それは、いわゆる出生率が少ない60年に一度の「ひのえうま」生まれの生徒数激減によるもので、高校教員の採用は全科目ゼロ。13歳から将来の夢を決めていたのに…と悔しかったのですが、逆に60年に一度にぶち当たるのは珍しいし、きっとこの先何かいいことがあるのではと前向きに考えました。卒業後、テレビの仕事を細々とやっていると、NHKの「中学生日記」という番組の体育教師役に抜擢され、その後、欽ちゃん(萩本欽一さん)ファミリーの一員となって全国デビューすることになりました。
中家 夢が教師からタレントに変わったということですね。
小西 講演会などで子どもたちにいつも話すんです。「自分の描いていた夢が途中で壊れたとしても、もっとすごい夢がかなうことがあるよ」と。もしあのとき教員の採用があったら、今ごろ私は神島高校の教壇に立っているかもしれませんね(笑)

震災で深まった人々の絆  

中家 昨年(平成23年)は東日本大震災をはじめ、原発事故、そして紀南地方を襲った台風12号など、まさに日本は未曾有の大災害を経験しました。すでに復興に向けた取り組みもなされていますが、これらの災害を受けて、人の気持ちが変化してきたように思います。東京の人々もそんな雰囲気はありましたか。
小西 大震災のときは舞台の稽古中でした。もちろん被災地とは比べものにはなりませんが、東京もすごい状況になりました。こちら(紀南)に帰ってくると、普通の生活や日常があり違和感を覚えるほどでした。ああいった大災害をみんなで手を取り合って乗り越え頑張っていこうという、人々の「絆」が出てきたと実感しています。
中家 JAには、「一人は万人のために、万人は一人のために」という基本理念があります。災害後は、ボランティア精神や助け合い、支え合いといった協同組合の理念そのものが、いろんな形で実践されています。
小西 農協の礎になった理念が、人々の心に芽生え始めたということですね。
中家 「絆」や「家族愛」というのは、古くからあった日本の姿でもあります。近年、それが希薄になっていたところにあの災害が発生しました。私たち農業協同組合の精神も今こそ発揮し、内外に示すべきだと感じています。
小西 私のおじいちゃんは生前、「畑を耕しているんじゃなく、耕させていただいているんや」と口癖のように言っていました。うちの畑ではなく、もともとあった地球のもの、日本の土地を、たまたま耕させてもらっているだけ。土地を、畑を大事にしなさいと言われました。大きな自然災害があったことで、もう一度、私たちは住まわせてもらっていることを再認識しなければなりませんね。
中家 それに震災の被災地の人が一番困っていたのが、水と食料の確保といわれています。どちらも農業によって守られているもので、命をはぐくむ食と農を見直すきっかけになればと思います。農業は単に作物を作って販売するだけではなく、いざというとき本当に必要なものを生み出していることを訴えたいです。
小西 おっしゃるとおり、東京では一時、当たり前のようにスーパーにあった野菜、果物、飲料がすべてなくなりました。本当に食べるものがないのです。あの経験をすると、食べ物を大事にする気持ちは、これまで以上に強くなりましたね。食べ物のありがたさが身にしみました。

地元農産物を食べる意義  

中家 JAでは「みんなのよい食プロジェクト」という国産農産物を食べようという運動を全国展開しています。元来、日本人はご飯とみそ汁といった米を中心とした食が最適なんです。ところが、これが徐々に崩れてきて、今や米の消費量も一時の半分にまで落ちてきています。
小西 半分ですか!
中家 そうなんですよ。米からハンバーガーやパンなど食の欧米化が進んでいる
ことが要因です。もちろん、それらを食べることを否定はしませんが、健康面や安全性といったことを考えたとき、もう一度日本型の食生活が大切になってくると思うんです。
小西 私も基本は米中心で、実家から玄米を送ってもらっています。4~5時間水に漬けて備長炭を入れて炊くと、甘い感じがして非常においしいんです。やはり地元でできたものを食べることは意味深いと思います。同じ空気を吸って育った人間と農産物ということで、そこでできた野菜や果物が体に良いことは、理にかなっていると思います。
中家 まさにその通り! 地産地消という言葉の意義はそこにあります。各地に伝承料理があるように、そこで生まれた料理は、実は一番自分に最適な料理なんだと思います。
小西 地元の料理といえば、おかいさんとさんま寿司でしょう(笑)地元の恵みに感謝します。そういった食をこれからも守っていくためには、地元のものを地元の方々が食べるという意識が大切でしょう。
中家 日本の食料自給率は40%です。ということは、6割は外国から入ってきているんですよね。先進国であれば、自国の食べ物は自国でまかなうことが基本ではないでしょうか。食の安全・安心は現在も将来も重要な要素です。
小西 命の源は「食」であり、食の源は「農業」ですから。子どもたちには農産物の安全性など分からないので、我々大人がもっと気をつけるべきです。輸入農産物があれだけきれいで長持ちするという理由も、機会あるごとに話すようにしています。
中家 輸入といえば、いま政府の間でTPP(環太平洋経済連携協定)について議論がなされており、野田総理は参加に向けた協議開始を表明しています。日本は貿易立国であるため、頭ごなしに参加を否定するつもりはありませんが、相応の国策を出さず議論もきちんとしないままでの参加は断固反対です。TPPに参加すると、安全性が不透明な農産物が日本へどんどん入ってくるかもしれない。国産は安全といっても価格差が大きければ必ず消費に影響しますし、日本農業の衰退につながりかねません。
小西 「自国の農業を守る」というより、「自分の命を守る」と置き換えて考えるといいかもしれませんね。海外の果物を摩り下ろした飲み物を、自分の乳幼児に飲ませられますか?と。国内産は安全であることは消費者はだいぶ分かってきています。仮にTPPに参加となれば、最初は安さに飛びつくかもしれないけど、でも何でこんなに安いんやろ?と疑問も抱くはず。そこできちんと消費者を教育できるかですね。

観光大使として活性化を  

中家 近年、都市と地方の格差が開いており、地方は疲弊する一方です。活性化するためには、農林水産業が元気になるしかないと思っています。しかし、農業においては後継者不足や遊休地の増加が進んでいるのが実情です。農業は食料だけを供給しているのではなく、景観や環境保全にも大きな役割を発揮しており、いわゆる多面的機能があることをもっと都会に発信しなければなりません。
小西 そんなときこそ、私を使ってください! 50歳を過ぎて都会暮らしをしていると、田舎の良さが改めて分かるようになりました。先ほど、「食は命」と申し上げましたが、私はいま「いのちのうた実行委員会」を立ち上げ、命の尊さを伝える活動をしています。末期の腎臓がんを経験したことで、もう一度いただいた命に感謝して、生きている素晴らしさや喜び、命の大切さを伝えることが使命だと思っています。
中家 素晴らしい活動ですね。ぜひとも命の尊さとともに、その根源となる農業や食の大切さの発信においても、お力添えをいただきたいと思います。
小西 もちろんです。私も地元の農産物を都会にPRしたいと強く思っています。例えば「コニタンが推奨する紀南のミカンと野菜」と銘打ち、東京の消費者にアピールする。JA紀南さんと一緒に活動できればうれしいですね。
中家 ありがたいことです。農業もそうですが、小西さんは観光大使もされていますよね。ぜひ紀南地方の活性化をお願いしたいです。
小西 和歌山の観光大使となって17年になります。和歌山は「よみがえり」の地であり、私も熊野古道のある中辺路で生まれ、末期がんからよみがえらせてもらいました。この和歌山を、紀南を、活性化するために頑張りたいと思います。

頑張っている農家を応援  

中家 ここ何年間かは、全国に誇れる紀南の梅もミカンも厳しい状況です。農家の皆さんに、小西さんからエールを贈っていただければと思います。
小西 農家の皆さんが頑張っている様子や気持ちは、ひしひしと伝わってきます。そこで私は何ができるかと考えると、全力で応援するしかない。地元の方々が作っているものを全国にPRしていく。それが紀南出身のタレントとして私ができることだと思います。
中家 なんといっても消費宣伝が大事ですからね。昔は農産物は作ったらなんとか売れましたが、今はいかに販売するかなんですよ。
小西 農産物を単にPRするだけでなく、私自身もミカンや野菜の栽培にできるだけ携わって、消費者に訴えたいと思います。その方が説得力がありますから!その際はJA紀南さん、ご指導をお願いします。
中家 分かりました。では最後に2012年の抱負を一言お願いします。
小西 「いのちのうた」を歌いながら、命の根源は食であることを、紀南から全国、海外へ発信していきたいというのが最大の目標です。以前は東京で頑張ろうと思っていましたが、人生の半分を過ぎて地元密着の活動に力を入れていきたいと思うようになってきました。JA紀南さんの抱負は?
中家 JAとしては、とにかく農家の所得を増やすことに精力を注いでいくつもりです。ただ、いまの経済情勢ではなかなか一JAが頑張っても限界があり、行政や国にも訴えていかなければなりません。いろんな意味で小西さんにもご支援とご協力をいただければ幸いです。
小西 もちろん、紀南を元気にするために頑張ります。
中家 力強い限りです!
本日はどうもありがとうございました。
小西 こちらこそ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします!
取材協力/東急ハーヴェストクラブ南紀田辺、(有)平井生花店

「命」の源は「食」、 「食」の源は「農業」です。(小西)
景観や環境保全も農業の役割なんですよ。(中家)  

こにし・ひろゆき
経 歴
◆愛称は「コニタン」。教員免許を取得しており、大学卒業後は教師になるつもりでいたが、大学在学中、中京テレビのローカルバラエティ番組『ジョークドキュメントBBS放送局』で、理科教育番組のパロディーコーナーの先生役でデビュー。その後、バラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』のレギュラーとして抜擢され、欽ちゃんファミリーの一員として人気を得る。同番組内でレギュラーの清水由貴子と『銀座の雨の物語』をデュエットしヒットする。また、『ザ・ベストテン』の2代目司会者としても活躍し、俳優としても多数のドラマ、映画に出演する。
◆2005年、腎臓癌の大手術を行い、現在は仕事を行えるまで回復した。90日間にわたる壮絶な闘病生活を体験し、自身を見守っていてくれる人々の存在に改めて気づき、『前向きに生きること』の大切さ、『全ての人々に感謝の心』を学んだ。子供のころからウルトラマンの隊長になるのが夢であったが、その願いが叶い、現在『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』でZAP隊長『ヒュウガ』役にて出演中。「いのちのうた」実行委員会の代表を務める。

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