JA紀南広報誌

2011年12月号p19-01

人を支えるやさしさ 第5回  

身近にひそむ差別
古佐田丘中学校 1年 道上 真衣  

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 「人権侵害」や「差別」という言葉を聞くとわたしたちは、「人権差別」や「外国人差別」などどこか遠いところで行われているもののように思いがちです。しかし、差別は、いつ何時どこで自分がしているか分からないものなのです。だからこそ恐ろしいのです。
 私が小学校だったとき、よく友達に
「A子ちゃんのこと、好き?嫌い?」
と聞かれることがありました。そのとき、私はもし嫌いでも「普通」と答えるようにしていました。その理由はいくつかあります。一つ目は、その人がどう答えてほしいのか分からないから。二つ目は、「嫌い」と言ったらそのことがA子に伝わるかも知れないから。三つ目は、自分が嫌いと言ったらそこからイジメに発展するのではないかと思ったから。その「普通」という言葉を聞いて、友達は、「心が広いなあ。」と言ったり、応答をしなかったりしました。その友達としては、私に、「嫌い」と言って欲しかったのでしょう。こんな時相手に「好き」と言ってほしい場合はほとんど無いからです。そして、その人の悪口などで盛り上がりたかったはずです。
 私は今、もしあの時「嫌い」とはっきり言っていたらどうなっていただろうと思います。きっと
「やっぱりそう?私も嫌い。」
というように話が盛り上がったと思います。そして、その仲間を増やし、最終的には知らず知らずのうちにA子へのイジメが始まっていて精神的・肉体的なダメージを与えていたのかも知れません。あと一歩のところで私自身が差別をする人間になっていたところだと思うと、少しゾッとします。そうならなくて良かったです。
 しかし、私にも、人を差別したことはあると思います。いや、絶対あるはずです。でも、人を差別しているとき、私がそれに気付いていなかったとすると、とても怖いです。分かっていて差別をするのもあってはならないことですが、気付いていない差別も恐ろしいと思います。
 人を自分と違うからといって、それだけの理由だけで排斥してしまうのはとてもおかしいことです。人間は、他の人間と違うというのは当たり前のことなのです。人間ひとりひとりの個性があることによって、それぞれ得意分野で活躍したり、人々がお互いに助け合っていくという社会の仕組みがあるのだと思います。
 このようなことから、この世の中から出来るだけ差別をなくし、ひとりひとりが持っている、人として生きるための権利―人権を守っていかなければいけないと思います。そうするためには、他者を理解し受けとめる(お互いの個性を認め合い、尊重する)ことが最も重要です。また、人間ひとりひとりが何が人権侵害で何が差別かを考えることも大切です。ひとりひとりが真剣に考えることで、おのずと差別の無い、みんなが平等な世界に近づくのではないかと思います。つまり、わたしたちひとりひとりが、人権の尊重される社会をつくっていくということです。
 だから、私も、人は自分と違うということをしっかり考え、まずは身近なところから差別をしたりせずに人権を尊重していきたいと思います。そして、平等な世界を世界中の人々とつくっていきたいです。

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