JA紀南広報誌

2010年5月号p32-01

こもれび  

亡き主人を偲んで
吉田 五子(白浜町栄)  

 私にとって昨年の10月14日は、大切な主人を亡くした、人生で一番悲しい日となってしまいました。
 37年間、農協へ勤めさせていただいた主人の夢は、退職後は汽車に乗って駅弁を食べながら旅をすることでしたが、平成20年12月13日、突然、その夢が破れたのです。
 急に腹水が溜まり、お腹がパンパンに膨れ上がりました。急きょ病院に駆けつけると、末期癌であと数日の命と告知され、私は愕然としてしまいました。
 しかしこの時の主人は冷静で、気丈な姿は今もこの胸に焼きついて離れません。
 もともと優しく、おとなしく無口、それに我慢強い人でしたが、この日を境になお一層、周りに気遣うようになりました。担当医の佃先生はもちろん、看護士さん、それに私にまで「ありがとう、ありがとう!」と言っていました。
 本当に最後の最後まで怒りや恨み、愚痴の一つもこぼさず、それどころか「お母さん、ごめんよ。こんな病気になって」と言いうのです。
 そんな主人がある日、「こんなこと言うと笑われるかもしれんが、病気になって良かったと思う。いろんな人の優しさや大変さが分かるようになったから」と言った言葉が、今も耳から離れません。
 私は、そのような主人の傍に居ることが何よりも幸せでした。何時も照らされ、癒され慰められて心が温かくなるのです。
 一日一日と「いのち」を刻む中で、肌身離さず持って何時も読んでいたのが、友人よりプレゼントされた高橋佳子著「新祈りのみち」という本でした。
 その本は、タイトルがいくつにも分かれていて、その時々の気持ちを受け止め、癒してくれます。特に主人は「病苦を受け止めるために」という所を何度も何度も読んでいました。
 その中には「…病を本当の意味で乗り越えるには、病に打ち勝とうとする強い心だけでなく、ときには病を受け入れ、病とともに生きようとする柔らかい心が必要です。浮き身の姿勢で力みをなくし、自然体で時を送ることが鍵になります。…」(一部抜粋)と書かれてありました。
 そのような中、病院の先生方の懸命の努力にも関わらず、とうとう10月14日に自宅のベッドで安らかに息を引き取りました。
 私自身は、抜け殻のようになりましたが、事態は容赦なく起こり続け、次から次へとやってきて私をますます苦しみの渕へと追い込んでいったのです。
 そんな私を救って下さったのがJAとんだ支所ライフアドバイザーの松前さんでした。本当にありがたく感謝でいっぱいです。
 そして、主人の形見となってしまったその本が、今では私を癒してくれます。
 私は「大切な人を失ったときの…」の所を読んでいます。その中に「…あなたが感じている寂しさや虚しさを否定する必要もありません。それはその人のかけがえの無さの証。それだけ大切な関わりが営まれたという証。そのことを静かにかみ締めてください。そして…」(一部抜粋)
 今ではその「新祈りのみち」が私の生きていく杖となっています。これからは主人のように、いかなる時も感謝を忘れず明るく生きてまいりたいと思います。(とんだ支所管内)

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