JA紀南広報誌

2010年3月号p24-01

こもれび  

水原 敬子(白浜町安居)
ことばに思うこと  

 受話器から聞こえてくる美しい声、素晴らしい文章、きれいな字で書かれた手紙、きれいな言葉の会話…。いずれもお逢いしない前から、この人はどんなに素敵な方だろうと想像します。
 中学生のころ「フランスでは、フランス語を美しく話せる女性が好運を得るといわれている」と何かで読み、日本人でも同じことだと思いました。
 美しい言葉、正しい日本語を話すよう心掛ければ素晴らしいことだと気づき、生来の悪筆、声は大きいだけの私でも、できることではないかと考えました。
 ところが、近ごろはテレビから「ん?」と思うような言葉をよく聞きます。4年ほど前だったと思いますが、聞きづらいなと思うことがありました。
 「今年流行のミュールの履き方・選び方」という番組のコーナーがあり、「ミュールってなんだろう」と見ていました。なぁんだ、サンダルではないか。履き方のところで、「ミュールは生足で」との説明があり、思わず「えっ!生足?」と思ったものでした。
 「生」という言葉には確かに自然のままとか、新鮮なといった意がありますが、いいかげん、中途半端なという意味もあり、生足から想像したのは生臭い、生首、生殺し、生煮え、生半可等々でした。
 昔から「素足」というきれいな言葉があるのになぜ?一寸気持ち悪く聞きました。放送局のアナウンサーの方に尋ねる機会がありましたが、やはり「生足」ということでした。
 近ごろはカタカナ文字が多様に進化するのか、サンダルがミュール、スポーツマンがアスリート、ミュージシャンがアーティスト。チョッキと言って笑われ、今はベストなのです。
 時々カタカナ文字が並ぶニュースを聞きますが、我が家では「何を伝えてるの?」「わしも分からん」という会話が交わされます。高齢者の私にはとうてい追いついていけません。
 だからといってカタカナを否定するわけではありません。外国語を直訳できないような言葉は、もちろん意を伝えるのにカタカナで表すのは当然だと思います。
 日本語でも、日本独自のすき焼や寿司といった言葉あります。日本が尺貫法をメートル法に統一したときでも、真珠の取引は匁(もんめ)が外国で使われていました。
 最近よく日本語が乱れているといわれます。「ことばを美しく」と思う私も、日本語の乱れに同感する一人です。     (日置支所管内)

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