JA紀南広報誌

2008年10月号p17-01

2008年10月号もくじ

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【最終回】

心 の 傷 跡  

学文路中学校 3年 鈴木 瑛未花
 今一番大切なものは何ですか?私は、迷わず「健康」と答えるでしょう。
 私は、この前、新聞で「ハンセン病」という病気のことを知りました。社会の本にも少し載っていますが、もっと詳しく知りたくて図書館で実際にハンセン病にかかった人の書記を読んだり、祖父母に話しを聞いたりしました。
 二つの世界大戦、相次ぐ内戦、核兵器の発明と行使、深刻な貧困と飢餓、そして環境破壊…。決して幸せな世紀でなかった二十世紀に、その病気を病み、心から血を流し続けるたくさんの人達がいたのです。
 今ではもう、ハンセン病を知る人は、少なくなったようですが、この病気は、昔「らい」と呼ばれ、病状が、顔や手足に醜くあらわれたり、治療薬がなかったことから、「天のたたり」とまで言われひどく嫌われました。「らい予防法」という法律のもと、表むきには、「病院」や「療養所」と名づけられた、公立の「収容所」に、ハンセン病の人を見つけしだい、犯罪者のように、無理やり連行し、強制隔離されたため、世間は、ハンセン病に対し恐ろしい伝染病という印象を持ち、偏見や差別が広がりました。祖父が言うには、実際、病気の人は「島流し」にされ、家族や社会との関わりを一切遮断され、子供を産むことも許されなかったそうです。故郷を追われ、本名も家族もなくしてしまった人が、たくさんいます。病気につぶされながらも、必死に生きようとした人々の事を思うと、いたたまれない気持ちになります。
 病気の人を「かわいそうに…。」と思う反面そんな自分は嫌いですが、心のどこかで感染したら嫌だという思いがあります。もし自分が、その時代ハンセン病と告知されたらどうしたでしょうか?死の恐怖で、目の前が真っ暗になると同時に、家族と離れなければならない不安と見離される淋しさ、人に病気のことを知られたくないという思いで、気がおかしくなるかもしれません。でも、近所の人がハンセン病になったら…きっと同情はしても自分達家族に感染したら困るという思いが強く、近づきたくない、というのが、本心ではないでしょうか。
 私の弟は、二才の時、「川崎病」という原因不明の病気にかかりました。母が、入院している弟に付きっきりだったので、私は、不安で淋しかったのを覚えています。弟が苦しい思いをしているのを頭でわかっていても、母を一人占めしている弟がにくたらしくて、ひねくれてしまう自分と、元気になったらいっぱい遊んであげたいと思う姉として弟のことを心配する自分がいて、何だか悲しくなってしまいました。家族も我慢しなければならないのです。
 弟は、元気になりましたが、八年たった今でも、定期的に検査に行っています。原因不明の病気というのは、これといった治療薬もなく、後々までずっと後遺症の心配を抱えて大変なんだと思います。
 元気な時は、誰も自分が、大きな病気にかかると思わないでしょう。自分や、家族が病気になって初めて深刻な問題になるのでしょう。そして患った者や、それを近くで見ていた人にしかその苦しさや痛みは、わからないのではないでしょうか。でも、病気になったからこそ見えることもあると思います。ちょっとした人のやさしさ、健康のありがたさ、普通に生活できる大切さ…。人を同情ではなく心から思いやることができるでしょう。病気をのりこえるということは、人間として、二倍も三倍も成長するのだと思います。
 ハンセン病という病気は、栄養や衛生が十分ゆき届かない環境におかれた時、発生しやすいと言われています。スルフォン剤で病気は治っても、肝心の菌の培養は、今だに成功していないそうです。だから万一、日本が、再び戦争をおこしたり、戦争に巻き込まれたりして国民が、ひどい生活状態に追いやられることになれば、それが原因で、新たにハンセン病の大発生をまねかないとも限りません。そんな、同じ過ちを繰り返さないために、私達若い世代は、世界の現実を正しく見すえて平和で幸せな世の中を創っていかなければなりません。
 長い間、療養所に隔離されて、社会から遮断されてきた元患者さん達の心は、ポッキリ折れてしまって元に戻らない気がします。政府が、正しい理解のうえで、救護と治療対策をしていれば、心が折れる程、辛くて、苦しい長い監禁生活は、必要なかったのですから。
 どんな病気も人事ではないのです。なりたくてなる人はいません。差別や偏見は、病気が治った後も、心の傷として、深くきざまれたままになると思います。(和歌山県人権啓発センターの平成18年度「差別をなくす人権作文優秀作品集」から)

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