JA紀南広報誌

2006年11月号p02-01

2006年11月号もくじ

元気の証  

南傾斜の日照を最大限に生かし味乗せた早生ミカンの木熟出荷
 田辺市街地から稲成の方を見ると、ひき岩群の間から、斜面に民家と畑がかたまる小高い山が目に飛び込んでくる。越冬木熟ミカンで有名な大坊だ。遠くは椿まで望める南傾斜の畑。ミカンは正月を越して味を乗せる。食味の良さで評判の大坊ミカンの生産に迫った。

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大坊のミカン(田辺市芳養町)
池田 晋さん 、靖史さん
祇園神社草刈り奉仕の皆さん
植林苗からミカン栽培へ越冬での出荷は平成から
 大坊ミカンの産地は、田辺市芳養町の大坊と団栗(どんぐり)の一帯を言い、100戸ある住民のうち90戸は農業に携わる。
 大坊山頂、標高290㍍の祇園神社で草刈りの奉仕作業をしていた地元老人会の皆さんが、大坊のミカンの歴史を話してくれた。
 昔、大坊は植林苗生産で生計を立て、ミカンもあったが、それは三宝柑や夏ミカン。早生ミカンの「宮川早生」の栽培は昭和10年頃からで、改植や新規の開墾によって年々増えた。

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 昭和20年代後半に道路が整備されるまでは、リヤカーや自転車にミカンを乗せて山を降りた。車も最初は木炭車、そして自動車(通称バタコ)になったと言う。
 「しかし大坊は、ミカンをやめた人はほとんどないなあ」とは一人のお年寄り。横の一人は「昭和32年頃はミカン1貫(約4㌔)で日雇い1人(1日)を雇えた。それほどミカンは良かったんや」と続ける。日当が300円、地下足袋一足300円の時代だった。
 急傾斜の悪条件ながら、石垣を積んだ南向きの良好な日照と温州に適した土質で、防風には生け垣のように槇を植え、心意気を持ってミカンを作り続けた。
 ミカン出荷もかつては年内だったが、豊作年の価格低迷で、平成に入った頃から、越冬して出荷する形態に変わってきた。そのことがかえって、樹上完熟のうまさを消費者に伝えた。

JAには個選での出荷
隔年結果対策にも懸命

 池田晋さんも大坊ミカンに打ち込んで来た一人。農業歴は48年だ。いまでは後継者の靖史さんに農業の舵取り役を任せている。
 経営面積は約3㌶。そのうちかんきつ類は、1・65㌶ある早生ミカンを中心に、極早生15㌃、中晩柑20㌃の計2㌶。梅は「南高」の漬け梅(一部手採り)を主体に1㌶。晋さん、靖史さんの2世代夫妻4人と一時期の雇用で回している。
 ミカンの収穫は12月から翌年2月下旬まで。樹上での木熟で、採果後は1週間程度の予措を経て主にJAに箱出し出荷する。
 JAへの出荷は、旧JA田辺市時代から個選による箱出しが定着している。すべての箱には出荷者氏名が入る。品質の高い順に赤、黄、青の箱があり、池田さんも糖度12%を一つの目標にしているという。
 木熟栽培につきまとう隔年結果には悩まされる。収量が表年で60㌧、裏年は30~40㌧に落ちる傾向で、「毎年40~50㌧に安定させたい」と靖史さんは言う。
 生産安定のため取り入れた一樹全摘果に効果が見えるため、靖史さんも「表年の来年はあと20㌃は全摘果したい」と考えている。
 「農業はやっただけの成果が目に見えるが、いまは少し辛抱の時期やなあ」と晋さん。就農23年の靖史さんも認識済みで「いろんなことを自分で考えて実行したい。極早生ももう少しあっても良いだろう。ただ大坊の木熟ミカン中心の線はこの先も崩れない」と熱く語っている。(文・写真=編集部・山本和久)

◇ 11月5日夜の降ひょうは大坊でも被害がありました。紀南の広範に及んだひょうによるミカン等の被害は甚大で、農家の皆様には心からお見舞いを申しあげます。

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